積読が減らない

アイキャッチは、契約中のコワーキングスペースの本棚。
テーブルゲーム・カードゲームもたくさん積まれていて、本当にクリエイティブが止まりません。(私は苦手ですが、妄想・発想は無限大です)

もともと読書が苦手(マンガは得意です笑)とわかっているのに、勉強意欲があるが故に、図書館に足を運ぶのです。本末転倒感ハンパないですね。
多動、学習意欲も相まって、巡れば巡るほど、手元にはたくさんの本が積まれてます。いわゆる【借りることがゴールになってしまっている】可能性は大いにあります。

物欲・所有欲のそれと同じ。理解することがゴールではなく、持つことで満足してしまっているのが原因なのだと。気づいているなら自制しろってことなんですけど、でも嬉しいからやっちゃうんですよね。そこは本能のままに動いてます。

世の中には「フォトリーディング」「スピードリーディング」などの速読法がありますが、とくにそれを使っているという感覚はありません。

やっていることとすれば、こんなものです。

①前書きを読む
②後書きを読む
③「見出し」と「強調(太字、下線、斜体など)」のみを読む
④mindmap®︎を文字だけで描く
⑤(描いていて)面白そうと思ったら、③よりもう少し深く読む

前書きには「こんな人に読んでほしい」というペルソナめいたものがあることが多く、そこに自分を照らし合わせます。

後書きには「この本を書き終えた後にどんな心理になったか」という著者の気持ちに触れ、Before/Afterを想像します。

見出し(ようは目次)と強調をさらって、内容の構成と「強く伝えたいキーワード」に触れます。

鉄が熱いうちに、ミニマインドマップ(文字だけ、3色のmindmap®︎)を作成し、「見えてきたキーワード」に「感想・気づき」を広げます。

その内容にワクワクとするならば、今一度読んでみるし、そこで満足とするならば次の本に行く…。こんな読書を実践しています。
(マンガや時刻表はこんなことしてないですが、やってみてもよいかも笑)

本もブログも、執筆者からすれば「自分というものを表現する場所」ということは変わりありません。フィクションだろうがノンフィクションだろうが、それは同じだと思います。むしろ今は、過去にフィクションと思われていたことが現実になっているものもあるのだと思っています。
(例えばオフィスが不要で、みんな在宅勤務で勤める企業が出てきたり)

人が表現するもの・考えうるものって、いろんな形で実現されるものなんだなって、このコロナ禍でもより強く思いました。
そのきっかけを与えてくれているのは、このいつも積読になりやすい自分が、各本の前書き・後書き・見出しに強調されているところなのだと思ってます。

とはいえ、積読は控え目にしようと思う、自戒を込めたお話でした笑

それでは今日はこの辺で。

ばばーい!