求めている時にこそ、適度な距離を持つ

アイキャッチは、スラックライン上で飛んでいる私なわけですが、別に今回はスラックラインどうこうを伝えたいわけではありません。(いや、スラックラインは大好きなので、どこかで語りたい)

絵としては、スラックラインと私は、離れています。(そりゃ飛んでいるから)
もともとこんなふうに「スラックライン上で飛ぶ」ということは、怖くてできませんでしたから、常にラインとくっついて、スタティックトリックをひたすら練習していました。でもいつの日かは、大会で選手が繰り出すようなトリックにチャレンジしたいわけで、飛ぶ練習を今でも続けています。
いつしか飛べるようになってくると、「飛んだ時の景色は、ラインに乗っている景色と全然違う!」と気づくわけです。気持ちいいと思うこともあれば、飛び方を失敗して盛大に転び、怖いと思う気持ちもありました。でもその気持ち全ては、「飛んでみて(離れてみて)初めて気づいた」ものでした。

前段長くなりましたが、今日の悟り(気づき?思い出し)としては、「求めているものに盲目にならず、適度な距離を持って全体俯瞰をしたほうが意外と良い」ということをシェアしていきたいと思います。

よく昔は失恋したものです。(急に何を言い出すかw)

大学生だった頃、一人暮らしをはじめ、俺のキャンパスライフはこれからだ!!なんて思っていた頃が懐かしく、そして恥ずかしいです。

その時の自分の気持ちの一部には、「パートナーが欲しい」と思っていたのです。(誰しもがいっときは思うのではないでしょうかw)
で、今思い返すと、「欲しい欲しい」と思っていた時には、どんどん離れて行ってしまっていたなぁと思うわけです。
(たくさんの交流会に足を運んでは、人見知りマックスで話すことなく終わるという・・・)
逆に「今はそんなことより楽しいことがある!」なんて思って日々を過ごしているときに、ふと近くに来たりするものでした。

どうしてもうまくいかないものには、人間ですから、目の前のことに躍起になって、どうにかならないかなぁと試行錯誤することがたくさんありますが、その状態になった時に、私も周りの人からは「もうちょっと全体をみようよ」「それって最終的にはどうなっていたいんだっけ」というようなきっかけとなる言葉をいただきます。つまり、自分が注目している部分というのは、世界全体で言うとアリのような本当に小さい一部でしかないと言うことだということに気づきます。

実際、その一部を構成するためには、さまざまなヒト・モノ・コトとの因果関係があり、根本から動かないとそもそもどうにもならないものとかがあったりするんです。だとすると、目の前の小さな一部に固執してしまっては、いつまで経っても問題・課題を解決していくことはできません。

例えば「パートナーが欲しい」と思っていた時に、パートナー探しを主目的にするというよりは、「何か特定のことを楽しむ」ということに視点を切り替えたりすると、その最中に「同じことを楽しむ、価値観のあった人と出会える」という気づきを得たりします。気づくと、そばには同じ価値観の人がいたりして・・・。(ホラーではありませんw)

一事が万事、完全にそのケースでうまくいくという保証はどこにもありませんが、一部に拘ったままというよりは、常に柔軟な視点を保ちつつ、近づいてみてもよし、離れて眺めてみるのもまた新たな気づきがあると思います。
ですので、物事には適度な距離を保ち続けるほうが、自分がより自分らしくいられると同時に、浮沈の幅が少なく、平常心でいられる時間が増えるのではないかと考えます。

何か目の前のことや、自身のバイオリズムが乱れた時には、無理にでも一度その場から半歩でも離れてみて、視野を広げてみてはいかがでしょうか。

それでは今日はこの辺で。

ばばーい!