TVをなくしてちょうど9年経ちました

※画像は「歩きスマホ禁止」マークです。もちろん禁止

2012年1月、長女の出産を控えた状態で、年末年始に引っ越しをするというアクションに出ました。引っ越したのはもともと住んでいるところから徒歩5分くらい駅から離れた静かな場所でした。(今はもうそこには住んでません)

引っ越す時には誰もが行う「断捨離」。いらないもの、買ったけど使ってないものなどなど色々あったことを思い出します。

そこで大きく捨てたものの一つが「TV」でした。

人生初めて、自分が「住む」部屋から「TV」というものが消えた瞬間でした。

言い出しっぺは自身だったのですが、「お互いの生産性が落ちるからなくそう」というものでした。

お互い本業だけではなく、プライベートプロジェクトを進める中で、自宅にいながらワークをすることが多数ありました。TVがついていると、部屋も落ち着いてはくるのですが、どうしても「音」「視覚的な情報」に動きがあると、視線はそちらに誘導されてしまうもの。いい調子で進んでいたワークも途中で止まってしまいます。そこで、3.11では貴重な情報源であったTVを、思い切って家からなくすという判断に至りました。

なくしてからというもの、こんないいことがありました。(あくまで個人的な感覚です)
・部屋が広くなった(TVがあることによって、配置・配線に大きな制限が出てくるもの。それがなくなるだけで、小さな間取りでも自由度高く使えました)
・興味のあるニュースはネットで閲覧(興味のないニュースを知り、何かに応用するという機会は減りましたが、好きな情報をどうリアルタイムに得ていくかという知識も増えた気がします)
・世の中の話題についていけないことが増えたが、自分には必要ないものばかりだった(情報過多の時代で、「なんでも知っていなければ」という不安もありましたが、今では「別にいいや」という精神であるのも事実です)
・大画面でみたい時は「小さなプロジェクター」が大活躍(登場頻度はほとんどありませんので、しまってます)

「手放す」「選択と集中」という言葉を、TVから実践してみた例でした。
けして「知らなければならない」ということを実現する手段は、TVである必要はないと思っています。現に9年経った今でも、もはやこれが私のスタンダードになっています。ですので、不安は何もありません。
子どもたちはプロジェクターでゲームをするようになっていますが、終わって片付ければ元の広い部屋に元通り。

「動かせる」「変化できる」ための余裕って、物理的にも持っておくと、心理的に安心しますね。

価値観は人それぞれですし、万人にこれを進めるわけではありませんが、私や我が家は結果としてよかったなあと思うわけです。
(エンジニアの人たちが、キーボードショートカットを会得するために、あえてマウスを外し、その中で効率を最大化するために調べまくるアレと一緒な気がしてきました)

それでは今日はこの辺で。

ばばーい!