逆張り?の楽しさ

自分のことを天邪鬼とまでは言いませんが、あまり流行り物に巻かれたくないという気持ちがどこかにあります。(まあ実際巻かれているものも多いと思いますけど、本当に気持ちだけ)

アイキャッチはスノーヴァ新横浜。シーズンに皆が雪山に行っているときにここにきてみると、確かに雪質などの色々なこだわりは置いといて、人がほとんどいない。自分が大切にしたい価値観は「マイペース」だったので、がら空きな方が良いのです。そして新しいものを知るということへの快感とともに。

自らマイノリティに進んで入っていくような姿勢を持ちたいと思っているのですが、ではどんな「逆張りの楽しさ」があるのかについて語ってみようと思います。

逆張りは一つ、怖さもあるかと思います。それは主流との逆をいくという視点で。他の人とは違うことをやることに対して、自身が「これで良いのか」と自問自答をし、自分なりの解が見つかった時にやっとそちらに踏み出せるのだと思います。

もともと日本の教育は、多くの人たちで同じカリキュラムに触れていくことが多くあったことから、「誰かと一緒」と言うことが機会としてとても多かったのではと思います。その中から抜き出ることというのは、とても勇気があり、難しいことなのかなと。自転車のロードレースに例えると、集団で走っているところから、アタックを決める時にはなかなか脚を使います。脚を使うポイントは果たしてここで良いのか。他は出ていないのに、自分はここで抜けでて良いのか。判断に迷うポイントだと思います。

とはいえ、その勇気を突破した時に見えてくる景色は、集団では味わうことのない、次へのステップなのではないでしょうか。個人的に逆という視点で考えると、よくIT業界での転職は「ステップアップ」として、収入面や裁量を考慮し、同業の中での転職が多い印象があります。そういう意味では、年収ベースで半額以下になりながらもやりがいや社会貢献を考えてソーシャルセクターに身を投じた自分は、ある意味一般的からみたら「逆張り」と言えるかもしれません。でも私は私自身にとっては「逆」ではありません。これが私の「自然」なのです。

ここで大切なのは「世間はどうあれ、自分を信じることができるか」だと思います。それが世間と同じであれ、逆であれ、自分に正直に生きるということがどれだけ楽しく、気持ちいいかということを、より多くの人に感じていただきたいと思っています。

ソーシャルセクターに行ったからとて、そこでの人生「だけ」ではありません。自分が実現したいものを、いろんな活動・行動・言動を経て実現していくことに「挑戦すること」は、どれだけ年齢を重ねても、いつでも「遅い」ということはありません。
「逆」と捉えずに、常に自分に真摯でいられるか。シンプルにこれだけだと考えます。

逆ではなく、自分を楽しむ。これがこれから新しい価値観の時代を生きていくときの鍵なのではないかと考えます。

それでは今日はこの辺で。

ばばーい!