ども。インフル罹患中にサーバを移行したhitc.nicoです。
まだうまく稼働していないのですが、そのうちそのうち。
さて、節分の日に年を一つ重ねました。
主にSNS系でお祝いメッセージを頂いております。本当にありがとうございます。
アラサーからアラフォーへ格上げ(?)です。
こんな日は家で一日ゆっくり…するわけもなく、いつもどおり副業へ出掛けましたとさ。
副業先でお祝いをいただき、さらには絶賛ドハマリ中のスラックラインで、
尊敬すべきプロライダー:細江樹くんにお会いできたこと。
やっぱり刺激はプロから貰わなきゃ!
今日の出会い・出来事に感謝です。
40は「不惑の年」。30は「自立の年」。
孔子「論語」の代表的な一文です。
『子の曰く、吾れ
十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順がう。
七十にして心の欲する所に従って、
矩を踰えず。』 (為政編)
果たして今、自立できているのだろうか。
31から踏み出した社会貢献(まさにBusiness to Social)は、自分の血となり肉となっているのだろうか。
あたまに、からだに、しくみに。とにかく自分が気になることに手を出しているけど、
それは果たしてよいのだろうか。(よく周りから「あなたはどこに向かっているの?」と言われるほど、多種多様なものに興味を持ち、取り組んでいる)
ということで、絶賛迷い中です。
前に進んでいるという実感をどう得るか。
実際、自分が24時間を過ごす時間の速度をとても速く感じることが多い。
それは果たして「充実」の裏返しなのか、はたまた「虚無」なのか。
何かを必死に探す自分はよく見るが、そこに果たして計画や目的があるのだろうか。
いつも立ち止まってはマインドマップを書きながら自分で自分と対話するようにするも、
進まないときは進まない。
そして誰かが回答をしてくれるわけでもない。自分が見つけるしかない。
じゃあどうやって見つけるのか?
それは過去に、自分自身が「欲しがってるときほど手に入れることはできない」という、
一つ悟りを開いたことがある。
(例:彼女がほしい!!と叫びすぎているときほどできなかったという実体験にもとづく)
「あ、そうか。あまり深く考えず、いま自分が充足する方向にベクトルを向け、真摯かつ愚直にこなすことで自ずと見えてくるのかもしれない」と。
「期待をしない」中にも「こうなったら最高/最悪」のセルフイメージは考える
期待をした裏に、「期待はずれである」このギャップを感じるときほど、人間のモチベーションが急降下することはないと思う。
では、そのギャップを埋める、もしくは発生させないためには、「期待をしない」ことをベースにすることが解決なのかと思う。
自分に対して過度な期待はせず、今できることを精一杯やる。
隣の芝が青く見えても気にしない。
漏れ聞こえてきたキーワードが、自分を落ち込ませることがあろうとも、自分に向き合う。
他人は他人。自分は自分。考えも、行動も、趣味嗜好も100人100通り。
自分の中で納得の行く一日を過ごすことが、やがてくる不惑の年に、自分の心を固めてくれるのだと信じつつ。
まず続けるのは有言実行、不言実行。
いい35歳のスタートを切りたい。いや、切ろう。
これからもよろしくお願いします。
ばばーい!