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二河等のブログ
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「比較」にある喜びと悲しみ

アイキャッチは中央前橋駅にて。上毛電気鉄道です。

過去にパートナーの友人に会いにいくために乗りました。初めて前橋という土地に降り立った時、駅前の閑散具合にビビりました。(2010年の話です)
それでも感激したのは、なんか二日連続くらいで触れてますが、「クライマーズ・ハイ」の映画の舞台である、北関東新聞社として用いられたビルがあるではないですか。もうそれだけでテンション上がりました。

という話はさておき、本題は「比較」についてです。(アイキャッチで謳いたかったのは、同じ電車でもカラーが違うという比較を比喩してます)

今朝土手をランニングしているときに、ふとこの言葉が降りてきました。(いつも通り、耳に流れてくるのはVoicyアプリからの心地よいMCの音声です)

「人は、何か他のものと比較をし、その優劣に一喜一憂しながら生きているのでは」

この言葉を聞いて、みなさんも当てはまることがあるのではないでしょうか。

例えば勝負の世界。言わずもがな、目の前や横に並んでいるライバルよりも、一歩、いや半歩でも先に前に出てやるという強い気持ちのもとで、切磋琢磨し、勝利という目標に向かって努力するような図式があります。

でもそれって、本当に「他人」と戦っているのでしょうか。

時として人は、何かと比べ、自分が優れていることに幸福・優越感をもち、「自分はできるんだ」と思う人もいると思います。子どもたちの中にもいるのかなぁと思います。(全員がそうではないとも思ってます)

それはあくまで「自分が基準」となっているので、ある部分では秀でていても、それ以外のところでは逆転していることもしばしばあります。

俺は全てにおいて勝たなければならない。そういう強いプライドを持つ人もいるでしょう。

でも、本来考えるべきは、「そう考えている過去の自分を超えていく」ことなのではないかと思うのです。

比べるべきは、他人ではなく、過去の自分であると。
昨日まで立ち止まっていたとするならば、そこから自分が、どんな些細なことでもプラスアルファになっているものを見つけられた時こそ、自分がより「自分らしくいられる」と気づくのだと思っています。

現に私も、過去というよりはむしろ「定期的」に、「このままじゃだめだ症候群」がやってきます。その時にはどうしても他人と比較してしまうことが多いようです。
でも一度元気になったときに考えている思考は、「自分がどうありたいか」というものに変わっています。言葉を変えると「周りを気にしない」という状態です。(最近の言葉で言うと、フロー状態とか、マインドフルネスなんていったりするのでしょうか)

正直今自分が取り組んでいるさまざまな物事(マルチポテンシャライトですw)を色んな人に話すと、たいてい「よくそんなにやってるね」と言われます。
自分でも振り返ったら「よくやってたな」とも思うわけですが、やってる時は夢中そのもの。集中しているいい状態なんです。
そう、あくまで視点は「自分」にあるわけです。

今後も自分にとっては未知のものに、もっともっと出会っていくと思います。そしてその度に、自分はどうしたいのかと言う気持ちに向き合っていくことでしょう。
他人からみた視点も参考にしつつ、守りたいのは「自分はどう思うか」。
この表現は臆することなく、口で、言葉でアウトプットを続けていきたいと思います。

それでは今日はこの辺で。

ばばーい!

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